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平和な町の中にある戦争資料館

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那覇空港から20分ぐらい車で走った所に「旧海軍司令部壕」と言う戦争資料館があります。

旧海軍司令部壕は 昭和19年(1944年)日本海軍設営隊(山根部隊)によって掘られた司令部壕で、カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地です。

平和な町の中にある戦争資料館ですが、那覇空港のすぐ近に沖縄の悲惨な戦争の歴史を学べる貴重な資料館があったので紹介します。

壕の入り口近くには大田司令官が沖縄の県民の奉仕が後世の人が忘れないようにと内地に送った電文の碑があります。

大田司令官の電報の写真

内容は「県民は最初から最後まで勤労奉仕や物資の節約をしいられながらもご奉公した」と「沖縄県民かく戦えり」と言う事が書いてあります。

壕の入り口はビジターセンターから始まります。

海軍壕公園ビジターセンターの写真

海軍壕公園ビジターセンター

ビジターセンターに入ると、戦時中の多くの資料が展示されています。

手作りの拳銃の写真

手作りの拳銃

こんな粗末な手作りの拳銃で戦っていたそうです。

生活用品の写真

生活用品

DSCF3131

旧海軍司令部壕の中で使ってたと思われる日用生活品です。

展示室から旧海軍司令部壕への入り口です。
壁には千羽鶴がつるされていました。

旧海軍司令部壕への入り口の写真

旧海軍司令部壕への入り口

旧海軍司令部壕の中の写真

旧海軍司令部壕の中

大田司令官は電報を送ったのち、ここで自決されました。

大田司令官か自決された場所の写真

大田司令官か自決された場所

海軍司令部壕は最高軍事機密だったので、民間人は近付くことが許されず、工事は軍隊の兵隊さんだけが手掘で作ったそうです。

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壕の中には医務室や衣糧庫、発電室がありました。

旧海軍司令部壕の発電室の写真

旧海軍司令部壕の発電室

旧海軍司令部壕の負傷兵がいた室の写真

旧海軍司令部壕の負傷兵がいた室

4000人の兵士が収容され、戦後しばらく放置されていましたが、数回に渡る遺骨収集の後、昭和45年(1970年)3月、観光開発事業団によって司令官室を中心に300mが復元されました。

小高い山の上に作られていて、ここから沖縄の西側の海がかなり広く見渡せます。
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前島や神山島もみえていたので、米軍艦隊の動きを監視する地形としては抜群だったんだと思います。

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旧海軍指令部壕と隣接した海軍壕公園があります。

大型アスレチックは豪華で、小さな子供でも楽しい時間を過ごす事が出来ます。

斜面を利用したローラーすべり台が2基ありますが、どちらもスリル満点で、1基は曲がりくねったタイプ。もう1基はストレートなタイプです。

海軍壕公園の写真

豊見城市国道7号線を南向けに車で走ると、高台から巨大滑り台が見える「海軍壕公園」

下の方にはハンモック型の大型ブランコや、小さい子専用のアスレチックなどもあり、安全にも配慮した公園です。

公園自体はそんなに広くありませんが、小さな遊園地のようです。

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